ただのサラリーマンがユーチューバーになったワケ。

40歳から人生を変える

大西といえば「長野県で活動するユーチューバー」

サラリーマンYouTuberとして、地元メディアに何度か取り上げられたこともあり、

いまだに、おっさんサラリーマン「オッサリーマン」と呼ばれたりしています。

今回はその「サラリーマンYouTuber」がいかにして出来上がったのか?

その経緯を大まかに話したいと思います。

小遣い月5000円の30代

今から17年前(30歳の時)一人目の娘が生まれました。

結婚を機に信州に移り住んだ私は、地元の小さな広告会社に中途採用してもらっていました。

給料はお世辞にも良いとはいえず、郊外の家賃5万円のアパートでひっそり暮らしていました。

生活は苦しいが、親子3人なんとか生きていければいいか…。

そんな風に自分を言い聞かせていたものです。

月17万円の給料から生活費を除くと、手元に残るのは5000円。

外でランチをすることも、飲みに行くこともできません。

車を持つ余裕も無かったし、交通費を浮かせたくて

ママチャリで毎日片道40分、坂道を下って出勤、せっせと登って帰宅、という通勤生活でした。

ジリ貧サラリーマンからの突破口

33歳の時に2人目の娘が生まれました。

家族が増えて喜んだのはいいですが、生活はさらに苦しく…。

当時、私の勤めていた広告会社は紙媒体が主な業務でした。

その頃からすでに業界の紙離れが加速し始め、会社の業績は下り坂。

ボーナスはおろか、毎年の昇給もままなりません。

たまの休日に家族と出掛けるといっても、お金がかかる遊びはできず、近所の公園に行くくらい。

(そのおかげで、お金を使えない分、体と頭を使って子供たちと存分に遊ぶことはできましたが)

行動だけが現実を変える

ただ現実は甘くありません。

子供が大きくなればどんどん生活費、養育費は掛かります。

しかし収入は横ばい…どころか下降していくばかり。

「このままではいけない、何か行動しなければ…」

「どうにかして人生の流れを変えたい、何かしなければ…!」

そんなことを漠然と考えるようになっていたのが40歳。

そんなある日、会社でふと目に入ったのが社内で回ってきた回覧物の中にあったセミナーの案内。

「ITセミナー合宿、SNSでビジネスを変える」

正確には憶えていませんが、そのような内容でした。

スマートフォンの普及すすみ、SNSという言葉が当時チラホラ出だした頃。

「これは…知っておいた方がいい」

そう思った私は、すぐに上司に掛け合い3泊4日間の合宿セミナーに参加させてもらいました。

人を引きずり回す

セミナ―自体はFacebookなど当時流行っていたSNSの使い方や考え方などの基本的な内容でした。

会社の業務として経費で受けさせてもらったので、そこで得た知識を社内で共有しなければなりません。

4日間で教わり、体感した「SNSの将来性と必要性」を、紙媒体が主力業務である会社の人たちに伝えるのはとても大変でした。

しかし案の定、会社の業務にSNSが取り入れられることはありませんでした。

ただ、一部の意識の高い上司や同僚には伝わったようで、貴重な情報を学んできてくれたと喜ばれました。

これがキッカケで私は、あることを実感しました。

人に言われたり先導されるよりも、まずは自分が動き、自分が周りを引っ張る。

「人に引きずられる」のと「人を引きずる」のとでは、長い人生で雲泥の差が生まれる。(たしか電通の十則)

そのセミナー参加以降、私は自ら進んで新しい仕事を提案したり、イベントを企画したり、

飲み会の幹事をしたりと、どんどん率先して動くようになりました。

貯金ゼロ…副業開始

行動力を上げたとはいえ、すぐに結果に繋がるようなことにはありませんでした。

41歳。収入は相変わらず。

子供の成長にともない生活費は増えていく…。

なんとか現状を打破したい!

何かできることはないか?

いろいろ調べたり、人に聞いたりしたところ、

どうやらブログで稼げるらしいとのこと。

とにかくやってみるの精神で、ブログを書き始めました。

毎日毎日、寝る時間を削って書き続けました。

そうして、1年後(42歳)にはブログで収益がでるようになったのです。

(ちなみに「ブログで稼ぐ」ことは現在も続いています。方法はいろいろあり、私のやったことは後ほど別記事で紹介する予定です)

会社には内緒でしたが、まだまだ少額だったし、ブログならバレることもありません。

YouTube活動開始

収益額はどうあれ、まずは自力で稼げることがわかりました。

行動し続ければ道は開けるのだと分かったら後は加速するだけ。

私はどんどん行動しようとさまざまなことに挑戦しました。

SNSのコミュニティを作ったり、セミナーを開催したり、イベントを主催したり…

(本当にいろいろなことをやってきましたが、詳細は別の記事で書きます)

そして、その中の一つが「YouTube」でした。

「どうやらYouTubeはブログ以上に稼げるし、これからどんどん伸びるらしい」

そう聞いて、すぐさまやってみることに。

ちょうどその頃、SNSに動画をアップし始めていた時だったので、

それならついでにと、YouTubeにも同じものをアップし始めたのです。

ところが、その動画が一向に再生されない。

自分では面白いと思っているものが、まったく見られない…。

そこから私はYouTubeを徹底的に研究しました。

どうやったら伸びるのか?

人に見られるには?

YouTubeのアルゴリズムは?

当時はまだYouTubeの攻略法のようなモノは出回っていなかったので、

とにかく自分で試して、検証して、研究して、また試す、の繰り返しでした。

そうやって初めてから、ほぼ1年かかってやっとYouTubeの収益化に成功しました。

今から4年前、43歳の時でした。

その頃はまだまだYouTubeを見る人も少なかっし、定石みたいなものもなく、とにかくコツコツ積み重ねるしかありません。

YouTubeで稼げるようになってからは、その収益性の高さに驚きました。

「ブログの比じゃない…!」

「たった1本の動画でこんなに稼げるのか?ならば仕事しなくてもいいじゃん…」

そう感じたものです。

(ただしそれはただ幻想だったと、のちに思い知るのですが、それはまた別の機会に)

こうして、サラリーマンユーチューバー「大西祐次郎」が出来上がりました。

そこからはさらにYouTubeを研究し、いろいろなチャンネルを作り、気が付けば45歳。

会社の給料の2倍近くをYouTubeとブログの収益で稼ぐようになっていました。

40歳からの5年間でしてきたこと

長くなりましたが、私が普通のサラリーマンだった40歳から、ユーチューバーになるまでのざっとした流れです。

おもしろそうだから、有名になりたかったから、将来性や夢があるから…

そういった理由ではなく、

家族を養うため、やみくもに行動しまくっていたら、たまたまそこに行きつき、そしてがむしゃらに続けた結果、こうなったというだけ。

人生を変えようと思った40歳から5年間(現在は47歳です)。

走り続けてコケまくった経験は今に活きています。

その時々でどのような挑戦と失敗があったのか…。

そして45歳で独立してから今現在はどうなのか…。

今後少しづつお話させていただきます。

そしてその経験が「これから人生を変えたい」と思っている方の勇気とチカラになれば幸いです。

私がやってきたことをさらに詳細に知りたいと思っていただけるようでしたら、

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